







vol.13
精神科医 など
星野概念さん

「まぬけ」という価値観に、今を生きるヒントがあるのでは?
今回13回目の連載でお話を聞くのは、精神科医・文筆家・ミュージシャンの星野概念さんです。人の心と日々向き合っている星野さんに「まぬけ」について聞くと、「まぬけこそ、人間の魅力」だという答えが。楽しい寄り道を重ねながら徐々に深みに降りていく星野さんの語りに魅了されました。

星野概念(ほしの・がいねん)
精神科医 など。精神科医として働くかたわら、執筆や音楽活動も行う。雑誌やWebでの連載のほか、寄稿も多数。いとうせいこう氏との共著や、単著に『こころをそのまま感じられたら』(2023・講談社)などがある。
瞑想体験で気づいた 〝スペース〟の重要性

今日は展示場でBESSの家を見ていただきましたが、「本気でこういうところに住みたいんです」とおっしゃっていましたね。
星野センパイ
木の家ってすごく落ち着くんですよね。最近、森が好きなんですよ。キャンプとかをするわけじゃないんですけど、ただ、行っちゃうんです。自然が気持ちよくって。自然に憩う気持ちよさって知らなかったんですが、すごく好きかもしれないなって気づきました。
自然が好きになるきっかけってあったんですか?
星野センパイ
前に、山の中にある瞑想センターに行ったことからですね。10日間滞在して、スマホもパソコンもないし、誰とも話さない。何も読まないし、何も書かない。ただ、瞑想するんです。
会話も読み書きも禁止されているということでしょうか。
星野センパイ
そうなんです。森に囲まれていて、人は他にもいるけど、喋らないし目も合わせないから、ほとんど一人で過ごしている感覚なんです。
でも、全然孤独な感じはない。いきなり怪しげな話に聞こえちゃうかもしれませんが、誰とも喋れないと木とか蜂とかと喋りはじめちゃうんですよ(笑)。蜂の場合、目の前に止まってくるんで、それに「どうしたの?」とか聞いちゃったりして。そうやって自然のなかで過ごしてると、人間も自然の一部なんだなぁって実感するんですよね。自分と向き合うっていうのもあるけれど、僕の場合は自然と自分との結びつきが強くなった体験でした。

気持ちよさそうですね。
星野センパイ
その経験があってから、大きな木の近くにある家に移り住んで、室内にも植物を置くようになりました。部屋は広くないし散らかっているんですけど、それでも植物があるといい感じです。自分のいるスペースの状態によって、人って変わるんですよね。スペースの心地よさは見くびってはいけない。ひょっとすると何よりも大事だとすら思いますね。
スペース、ですか。
星野センパイ
スペースっていう言葉を使うのは、空間のことだけじゃなくて、時間的なスペース=余裕だったり、心理的なスペース=安心だったりも含めて考えたいからなんです。この「まぬけのセンパイ」的に言うと、「スペース=間」になると思うんですけど、タイパやコスパがもてはやされるこの時代精神とは真逆を行く考え方だから、なかなか注目されづらい。でもだからこそ、スペースの重要性は見直されるべきだと思います。
「ほどよく空ける」 ことのよさ

星野さんは精神科医として働かれていますが、来院されるクライエントとの対話では、スペースについてどう配慮しているんでしょうか。
星野センパイ
十分に環境を整えられているかわからないですが、意識はしてますね。「対話」って、お互いの内なる声が自然と湧いてきて、互いに反応し合うもの。内なる声を積み重ねていくためには、話している空間は大切です。
極端な話ですけど、すごく狭い空間で空気も悪くて時間も決められた場所で話すよりは、開放的な森のなかで、焚き火を囲んで時間無制限で話すほうがいいって直感的に思いますよね。空間的にも、時間的にも、余裕があることはとても大事です。僕が取り組んでいるオープンダイアローグ(開かれた対話)も、対話がしやすくなる試みですね。
どういう取り組みなんでしょうか?
星野センパイ
精神科医が、一対一でクライエントと向き合うんじゃなくて、複数人で対話をする、フィンランド発祥の手法です。スタッフチームはもちろん、クライエントの家族も共に対話を続けていく。その場にいる人たちが一緒に影響し合いながら、一対一ではできないかたちで視野を広げて対話をする。そんな方法です。

星野さんも、ご自身の生活ではスペースについて意識していますか?
星野センパイ
僕、東京で生まれ育ってここまで来たからか……、余裕を持ちにくい状況でずっと過ごしてきたんですよね。スケジュールも詰めすぎちゃう性格で、本当はもっと余裕を持ったほうがいいんだけど、まだまだです。
文筆家としても活躍されていて多忙の極みかと思いますが、執筆作業に集中するために心がけていることはありますか。
星野センパイ
家だと、集中するのに時間がかかっちゃうじゃないですか。部屋には誘惑が多すぎるから(笑)。だから僕はファミレスとかコワーキングスペースに行くようにしてます。誰かの存在があると、無言のうちに励まし合いながら作業できる気がして、集中できるんですよね。瞑想センターの話とも繫がってますね。同じスペースに人がいて、だけどお互いに関わり合うわけではない場所。

それでいうと、僕は銭湯やサウナのような温浴施設も好きなんですよ。家でひとりっきりだと孤立してしんどいけど、場を共有する人がいるだけで安心するというか。あと、干渉されないってことも重要だと思うんです。その話でいくと「自殺希少地域」とされる地域があるんですけど。
自殺率が低い、ということですか。
星野センパイ
そうです。精神科医・森川すいめいさんの『その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺希少地域」を行く』(青土社)という本を読んだのですが、徳島県海部町(現・海陽町)は日本で自殺率が最も低いことで知られています。この町ではご近所同士で、お互いの事情に深く介入しないらしい。みんな顔見知りではあるんだけど、和気あいあいと会話をするわけではないと。都市のように隣人の顔すら知らないっていうわけでもなく、かといってお互いに首を突っ込みすぎるということもないんです。
その距離感はとてもいいですね。
星野センパイ
多くの人は、強固な人間関係の中で悩んじゃうんですよね。特に、家族のような濃密な関係だと悩みも尽きなかったりします。だけどそんなときは、一回距離を取ることで落ち着いて話し合えることもある。つまり、期間を決めて寝かしてみる。問題に直面したときには、空間や時間のスペースをほどよく空けることが重要ですね。
自分を 実験台にしてみる

スペースの重要性がだいぶ見えてきました。
星野センパイ
スペースって細胞レベルでも重要なようですよ。去年ロルフィングっていう施術を受けたんです。かんたんに言うと、細胞と細胞の「間」を整える施術なんですが、整体のようにゴリゴリ整えていくのではなく、体に軽くトントンと触れていくんです。要するに細胞の位置を無理やり動かすんじゃなくて、細胞が“行きたい方向”にそっと方向づけしてあげるといいますか。
ちなみにロルフィングに関する英語論文では、細胞の間のことを“MA”と表現していました。そうとしか言い表せないんでしょうね。
瞑想もロルフィングも、星野さんは自分を整えることにすごく意識的ですね。そうしたケアの仕方に惹かれても、なかなか続かない人が多いと思います。
星野センパイ
いや、僕もだらしなくなったり、セルフネグレクトっぽくなったりすることはありますよ(笑)。人って、過剰にふれることで自分を保つような傾向があるんですよね。散財、オンラインガチャ、飲酒、過食……。生きていれば、自分をちょっと粗末に扱いたくなる時期は誰にでもある。僕自身、めちゃくちゃお酒を飲んでいたときもあるし、ガチャを回しまくってた時期もあります。
依存症なのか、息抜きなのか。はたから見ると判断が難しそうです。
星野センパイ
基本的には本人がやめたいと思ってるのにやめられない状況にあることが依存症にはなりますね。それこそ間が埋まってしまって過剰になり、余裕がない状況ですよね。でも、依存症とされる人たちと接していても、とにかくダメなんだと禁止することでは何も解決しません。「行き過ぎてるけど、やっちゃうんだよなぁ〜」という状態について共に考えてみることで間を空けられるようになっていく。

過剰にやってしまう状態をある程度肯定しつつ、ストレス発散として割り切れるようになるにはどうすればいいんでしょうか。
星野センパイ
漫画家のタナカカツキさんが面白いことを言っていて。あの人は「自分を実験材料としている」と言うんです。
サウナブームの火付け役となった『サ道』の作者ですね。
星野センパイ
まさにサウナの入り方も、自分をモルモットとして実験を繰り返して見つけていったそうです。たしかに「これは実験だ」と思うと、過剰な行動をしてしまう自分に対する心持ちが変わるんですよね。
だから「いっぱい食べちゃう」っていうときも、「今はいっぱい食べてみる実験中」ということにする。食べ過ぎるという行為が、自分に与える影響をつぶさに検証してみるんです。食べたくなってしまう気持ちを無理に抑え込まずに、いろいろな方向から捉え直してみると、自分の過剰な行動嗜癖をメタ的に捉えられる。自分を俯瞰してみて、自分自身の行動と“間”をとることで、自己否定にも走らずに安定していくはずです。
一生懸命のときに出る まぬけさが愛おしい

あらためて、星野さんにとって「まぬけ」ってなんでしょうか?
星野センパイ
やっぱり「間」が抜けてるって余裕につながっていくイメージがあります。あと、一般的なニュアンスで言うと「お前バカだな」より「まぬけだな」って言われるほうが、ちょっと愛がある感じがする。僕の好きな映画に『プロジェクト・グリズリー』というドキュメンタリー映画があるんですけど、これはグリズリーに襲われて生き残った人が、再びグリズリーに襲われても大丈夫なようにスーツを開発するって話なんですね。
設定からして、変ですね。
星野センパイ
最初はグリズリーの強い衝撃に耐えられるようにって作ってたのに、夢中になりすぎておかしな方向に行っちゃって、火だるまになっても燃えないみたいな要素を継ぎ足すんです。で、最強のスーツを着てグリズリーに会いに山へ行くんですけど……そのスーツが重すぎて、雪に埋もれて終わるんですよ(笑)。
まぬけの極みですね(笑)。

星野センパイ
でも、その彼らの夢中になる情熱が、すごく素敵なんですよね。僕は、周りが見えなくなるくらい夢中になってる人の“隙”に、とても惹かれるんです。精神科医の方にもそういう「センパイ」はいますね。
どんな方ですか。
星野センパイ
患者さんにゲンコツしちゃう先生(笑)。長年の付き合いだった患者さんが、不意に危ないことをしちゃったらしいんです。そのときに思わずゲンコツして「なにやってんだ!」と。ありえないんですけど、「ゲンコツ」以降回復したと先生はおっしゃってて。もう治療もへったくれもない話なんですけどね。でも、理屈じゃ説明できないことって、たしかにあるじゃないですか。
その先生にとっても、普通じゃありえない行動だったでしょうね(笑)。
星野センパイ
こうすれば治るだろうと狙ってやったわけじゃない。一生懸命やっているうちに、そうなってしまったという。一言で言うのは難しいし真似しちゃいけないけど、作為では生み出せない人間の複雑さが詰まっているエピソードで、忘れちゃいけないよなって思うんです。

星野さんのお話を通して、「まぬけ」の魅力だけでなく、人と対話するときの“間”のあり方について少し理解が深まった気がします。最後に、“まぬけのセンパイ”として後輩たちにメッセージをいただけませんか。
星野センパイ
今日話して気づいたんですけど、やっぱり“まぬけ”って人間の魅力なんですよね。完全な人っていなくて、どこか不完全さが出ちゃう。まぬけさが、その人のチャームポイントなんです。それに、まぬけさが出てくるのは大抵、試行錯誤してるときなんですよね。完璧に憧れてしまうかもしれないけど、己のまぬけさもひっくるめて自分自身として生きていくことが、むしろ自分の魅力を炸裂させるコツなんじゃないかとも思います。
みんなそれぞれ独特にデコボコしてるから、無理して隠さなくていい。僕は、その人固有のまぬけさに出会えると本当に感動します。そういうときに、やっぱり人間が好きだなぁって思うんですよね。
